トレイルウォーカーという大会があるのをご存知だろうか?去る2010年4月23日、英国に本部がある世界的なチャリティー団体「Ox fam」の日本支部”オックスファム・ジャパン 主催の100kmトレイルウォーカーが開催された。我がウイスキーマガジン・ジャパンチームも勇気をもって参加した。このイベントは、小田原から山中湖までの高低差1200mの山道100kmを48時間以内で、チーム4人1組が完歩するというトレイルウォーク大会。4名が分担するのではなく、全員が歩き徹すという過酷な大会である。
このオックスファム・トレイルウォーカーは、参加をきっかけに周囲の方に呼びかけてチーム・スポンサー(寄付者)になってもらい、国際協力のための寄付金を集めていく。
チームの参加条件で、最低12万円以上の寄付を集めるのが必須条件である。こういった行いをファンドレイジングと呼ぶようだ。この寄付金はオックスファムが実施する途上国の紛争・災害時の緊急支援や教育・農業支援活動に使われ、貧困から立ち上がろうとする人々を支援するために役立てられるので、素晴らしい大義名分であると思う。2009年の大会(171チーム)では約4,900万円以上の寄付金が集まり、貧困支援の活動に役立てられたようだ。ウイスキーを飲めるというゆとりがある中で、日々の食料も満足に確保できない人々が世界中に大勢いることに目を向け、少しでも貧困に対して関心を持っていこうと、ウイスキーマガジン・ジャパンも参加を決意しました。
トレイルウォーカー開催まであと1週間に迫ったころ、ウイスキーマガジン・ジャパンチームの参加が危ぶまれる事態に直面した。アイスランドの噴火で、ヨーロッパ全体の空港が閉鎖され、英国から参加予定であったウイスキーマガジン・ジャパン編集長のデイヴ・ブルームの来日が難しくなったと一報が入ったのだ。開催日前日にヒースロー空港の閉鎖が解除されたと連絡があったが、航空券を再び入手し、来日するまでは数日を要するということで、ブルーム編集長の参加を断念したのであった。残った3名だけで参加できるか主催者のオックスファム・ジャパンに相談したところ、この事態はやむを得ないということで当日、キャンセルになった航空券のコピーを提出する条件で3名での参加が認められました。
大会当日、早朝に東京を出発し、スムーズにスタート地点の小田原の城山陸上競技場に到着した。
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前日から降り続いていた雨が止まない。3人で元気に登録を済ませると、レインウェアーを着込む。重苦しい天候のなか、外国人チームの陽気な声だけが競技場に響き渡っていた。そんな天候を払拭するべく、記念写真を撮ったり談笑したりして気分をほぐしていく。
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それにしてもすごい人数だ。サポートチームの人たちも競技場に入っているので、ざっと見ても1,000人以上はいるように見える。それもそのはず、競技に参加する人たちだけで700人以上はいることになる。
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午前9時、号砲とともにスタート!ぞろぞろと大きなうねりが競技場を動き始める。中には走りながら競技場を後にするチームもいるのには驚いた。
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これから100キロもあるのに気が早いな・・・。競技場を抜け住宅街を20分ほど歩いた。天候は思わしくないが、このアスファルトの道ならなんとか歩けるかもと安易に考えていた。そんな矢先、舗装路から横道に逸れ、あぜ道に入った。
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細い道なので長い人の列がダラダラと続いていく。追い越しは難しい道幅で、思うようにペースがつかめない。少し進んでは止まり進んでは止まりストレスを感じ始める。竹林を抜けるころ道が登りになり、杉林の「道」とは呼べないようなコースを、カラフルなレインウェアーの列が延々と山の上まで続いている。列の先は霧がかっていて見えない。なんとも凄い光景だ。知らない人が見たら「?????!」と頭の中がショートするような異様さだ。雨降る霧がかった杉林の山道を、何百人もの列が同じ方向へ進んでいく。
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歩き始めこそ興奮し会話も弾んでいたが、上りが続いていくと次第に無言になっていく。トレイルウォークというのは、もっと平坦な道で行われると思っていただけに、こんな険しい山道が続くとは思っていなかった。
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大きく呼吸する白い息だけが、熱気とともに宙に舞う。戸息のせいで視界が遮られる。程なく上っていくと道が開け平らになった場所に出た。この付近の頂上であろうか?高度計を見ると500mほどあることが分かる。スタート地点が標高100mぐらいであったから400mほど上がって来たようだ。レインウェアーを着込んで歩いているので、上りはかなり暑くなり汗が噴出す。ゴアテックスの機能的なレインウェアーを着ているので雨の浸入はないが、中から湿気を逃がす許容を超えているのだろう。尾根伝いに道が続き下りに入った。大量の汗が冷え、冷たくなったシャツが背中にひっつく。下りの竹林の岩場の列が続く。映画のグリーンディステニーのようで、なんとも可憐な風景だ。
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午前11時40分、スタートから2時間40分でチェックポイント1の阿弥陀寺に辿り着いた。
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スタートから団子状態でペースが上がらず、予想タイムをオーバーして到着。ここまで歩いた距離は9キロ。まだ10分の1にも達していない。濡れたインナーを着替え、エネルギージェルを補給した。休憩はせず、次のチェックポイント2を目指す。早く出ないとまた団子状態で歩くのはごめんだ。
チェックポイント1の標高は150mほどであったが、次のポイントは800m以上の所で距離は9キロ。少し下ると舗装路が見えた。アスファルトがこんなに恋しいとは思わなかった。この国道1号線を10分ほど歩いたらまた山岳コースの入り口が待っていた。延々と上りだが、登山道が石畳や石段であったので、足場は悪くはない。しかし登り続けの上、急勾配なので疲労は想像以上だった。
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午後14時にチェックポイント2の芦之湯フラワーセンターに到着した。
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累積距離は18キロ、スタートから5時間経過した。雨は降りやまず、サポートチームにエネルギードリンクだけ補充してもらい、少しの休憩で出発した。
次のチェックポイント3の県立恩賜箱根公園までは、ほぼフラットな道で距離は5.5キロ。アップダウンもなく短い距離なのでペースを上げる。時おり雨が強く降る。足場もぬかるんできた。午後15時30分にチェックポイント3の県立恩賜箱根公園に到着。まだ余裕がある。ここまで6時間掛かって累積距離は23.5キロ。雨はまだ降り続いている。チェックポイントで提供していただいたツナのおにぎりを食べた。こんなに歩いているのに空腹感はあまりない。背中に背負ったハイドレーションで、こまめにエナジードリンクを補給しているお陰で、通常よりは疲労や空腹、脱水状態は回避できているようだ。このハイドレーションというのは、ザックを背負ったまま、チューブで水分補給ができるという便利なもの。このチェックポイントは、特に座って休憩する場所もないので、着替えとコース確認、補給物資を調達して次のチェックポイント4の芦ノ湖キャンプ村を目指した。
午後15時50分チェックポイント3を出発。芦ノ湖畔の観光スポットや舗装路を進んでいていく。この区間は湖畔沿いのコースということで、平坦な快適コースだと予想していた。ここで少し時間を稼ごうとペースアップ。20分ぐらい歩くと、緩やかな起伏が続き、想像とは裏腹に次第に悪路となった。長い上りはないが、緩やかな上り下りの泥道が延々と続いていて、ペースアップどころではなかった。この状態で12.5キロ進み、午後18時過ぎにようやくチェックポイント4芦ノ湖キャンプ村に到着。前のポイントから2時間少しかかった。累積距離は36キロ、スタートから9時間も歩いてきた。あたりも日は落ちて、この休憩所では仮眠する人や、食事をとる人たちが溢れていた。体が冷えたので、カップのスープパスタを食べた。トップのチームは4時間前に到着して、すぐに出発したようだ。ここまで走り続けてきたようで、とんでもない体力にみんな愕然とする。ここでは長めに1時間の休憩をとり、夜間の山岳コースに備え、ゴアテックスの登山靴とレインスーツに着替え、ヘッドライトを装着し、難関といわれる次のコースに挑んだ。まだ、この時点では記念写真を撮ったりする余裕があった。
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チェックポイント4を午後19時20分にスタート。次のチェックポイント5までは長い山岳コースなので、少し元気を出してサポートチームに手を振り歩き始める。次のポイントは最上寺奥の院である。ここから18キロの長い長い道のりである。辺りは暗いが、歩き始めは舗装路で難なく歩ける。しかしここでチームの一人が腰に痛みを感じ始め、次第にペースが落ち始める。降りしきる雨の中ゴルフ場の間の道を延々と歩き、国道の横断歩道を渡る。静かな闇の中の住宅街の坂道を上りきると「金時山コース登り口」という標識があった。ここから闇の中に佇む山岳コースの幕開けである。石段のスロープが少し続くが、その石段も途中から、単なる泥の急な坂へと変わっていく。泥の斜面も、降りしきる雨で川のようになっていた。足が滑ってなかなか思うように登れない。笹が両側を挟むように泥の斜面が続いていて、その笹を掴みながらでないと登れない。数時間も登っただろうか。スタッフの一人は、メガネをかけていたので、自分の吐く戸息でレンズが曇ってしまう。5分おきに曇り止めで拭う。雨は強さを増していった。それにしてもなんという過酷なコースなのだろう。5メートル進むのに5分以上も要してしまう。3人のうち、トレッキングポール(ステッキ)を持っているのはひとりだけで、他の2名は両脇の笹にしがみつきながら、滑る斜面を登っていかなければならない。ぬかるみも田んぼのようになってきて、ひざ付近まで足がもぐってしまう。この状態で一気に標高1100mまで上がらなければならない。下半身だけでなく、笹にしがみつきながら登っているので全身の体力が奪われていく。一歩進むたびに肩で息をしている。休憩できるスペースもまったくなない。雨粒と戸息がヘッドライトに反射して、前がほとんど見えない。自分の足元を確認するのが精一杯で、道の先はまったく分からない。この泥の斜面はどこまで続くのだろうか・・・。
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他のチームを追い越したり、息を整えているときに追い越されたりと、そんな状況が続く。ステッキを持っているチームは、するすると登っていく。装備の不備を今更ながら悔やむ。だいぶ登ってきただろうか、悪戦苦闘していた斜面から開放され平らな道に出た。高度計を見ると1100mある。雨粒が大きくなったと思ったら、どうやら雪のようだ。道理で寒いと思った。少し動きを止めるだけで芯から冷えてくる。また稜線付近は風が一気に抜ける場所でもあるからとにかく寒い。平らな道はあっという間に終わり、下りに変わった。先ほどよりは前に進むことは用意だが、傾斜がきつくなると、足をとられ、そう易々と降りさせてはくれない。泥で覆われたウォータースライダーを下っているようだ。両脇の笹や木の枝に掴まっていないと、一気に滑落してしまいそうだ。気を抜いた瞬間に滑って転んでしまう。30分もこの下りで踏ん張っていたせいか、膝に力が入らなくなり、痛みを伴ってきた。転ばないように踏ん張りを効かすと、膝が痛むので、いっそのこと転んで滑って下りきろうと馬鹿げたことが頭をよぎる。だいぶ疲れているのだろう。頂上付近からチームの一人のヘッドライトが不調で、3段階ある照度の「強」が点かなくなった。これだけでも結構暗く感じる。予備で持って来たヘッドライトと交換した。自分のライトも途端に点かなくなり雨の中で電池を入れ替えてみる。点灯はしたが安定しない。かなり明るいライトだと喜んで購入したが、どこかおもちゃのようで安物買いであったのは否めない。山の装備は命に直結するので、ケチってはいけないことが分かった。30分もしないうちに3人のヘッドライトは、風前の灯のような、頼りない光しか放たなくなった。足場は時間を追うごとにドロドロさを増し、滑って転ぶと有明海のムツゴロウ状態だ。この状態で足場もろくに照らせないとどうにもならない。たまたま私が予備の予備で持っていた大容量LSDライトが、まだ大きな照度を保っていたので、この1本を頼りに3人が連なって懸命に斜面を降りた。それにしても、どこまでこの下りは続くのだろう・・・。トレイルウォークのコースには20mおきに、木の枝にリボンが縛ってるので、それを頼りに進んでいく。5キロおきには番号が書いてあるプレートが設置してあり、自分たちがどの辺りまで歩いたか分かるようになっている。だいぶ斜面を降りただろうか、ようやく「100」のプレートに辿り着いた。ちょうどスタートから50キロ歩いてきたことになる。
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疲労はピークであったが、このときばかりは満面の笑みで記念写真を撮った。何といってもフルマラソンでさえ出場したことがないのに、50キロも歩けた(こんな雨の山道を!)ということが驚きでさえもあった。でもまだチェックポイントまで4キロもある。ここからは、あと少しあと少しと呪文のようにつぶやき、鉛のように重たくなった体に鞭を打った。ようやく暗がりの下のほうに建物らしき影と、案内する人の明かりが揺れているのが見えた。大雄山最乗寺のチェックポイントでサポートチームが降りしきる雨の中、待っていてくれた。
建物の中に入ると、険しい山を越えた安堵と疲弊が綯い交ぜになった空気が漂っていた。建物に入ろうと、靴を脱ごうとしても、泥に覆われていて紐がなかなか解けない。手が疲労と寒さで震えている。やっと靴を脱ぎ、到着のチェックを済ませた。笑う顔も力なく、洗面所で泥まみれの顔と手を洗った。蛇口から出てきたお湯に感動してしまった。ほっと一息ついて、チームの3人が顔を突き合わした。ここで最大の決断をした。「リタイアしよう」もう次のチェックポイントまで辿り着ける体力は残っていなかった。
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このトレイルに参加するにあたってご支援や寄付をいただいた方々、サポートチームには大変申し訳なく思った。だが山中のコース途中でリタイアは困難なため苦渋の決断をした。装備の不備やトレーニング不足を恥じた。この悔しい思いは、次回の「トレイルウォーカーのゴール」という大きな目標を掲げることとなった。またこの大会をきっかけに、ウイスキー業界として貧困支援に積極的に取り組んでいけたら素晴らしいことだと思う。
余談だが、このオックスファム トレイルウォーカー記念ボトルをウイスキーマガジン・ジャパンとして企画した。この記念ボトル“軽井沢1997&1991”の純利益の全額を貧困支援に全力で取り組んでいるオックスファムへ寄付いたします。ウイスキーファンの皆さんもぜひ、ご協力いただけたら幸いです。